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東京みやぎ石巻圏人会 石巻市・東松島市・女川町の出身者・ゆかりの会
交流会

東京みやぎ石巻圏人会「第8回交流会」報告

開催概要

項目内容
日 時2025年10月18日(土) 12:00~15:00
会 場芝浦工業大学豊洲キャンパス阿出川シアター・銀座シシリア豊洲店
参加者50名
講 演「伊達政宗の野望、支倉常長の冒険」 平 川 新 氏 …………………サン・ファン館 館長
講演・荒磯友馬編曲 斎太郎節 ・M.Burritt作曲 「Caritas」より第2・第3楽章」 ・安倍圭子作曲 プリズム 星 伊 吹 氏 …………………マリンバ奏者

東京みやぎ石巻圏人会主催の「第8回交流会」が2025年10月18日(土)、芝浦工業大学豊洲キャンパス阿出川シアター・銀座シシリア豊洲店で50名が参加して開催された。

交流会は瀨川副会長の司会で始まり、はじめに東京みやぎ石巻圏人会の小林美恵子会長から、参加へのお礼に続き

「石巻圏人会は創設37年、その間、交流会での様々な出会いがふるさとについて学ぶ機会となっている。本日はサン・ファン館館長平川新氏に『伊達政宗の野望、支倉常長の冒険』と題して講演頂く。この夏にふるさと訪問旅行として10名ほどでサン・ファン館を見学した。2011年の東日本大震災は私たちの記憶に新しい所であるが、慶長年間、1611年にも大きな津波がこのあたりを襲ったという事を聞き、ぴったり400年後という数字にめぐり合わせの不思議を感じている。その2年後に出帆したサン・ファン・バウティスタ号の旅はどんなものだったのかお話が楽しみである。

ふるさと出身の若い才能を応援することも私たちのミッションの一つと考えている。今日は石巻出身のマリンビスト星伊吹さんの演奏をお聴き頂く。どうぞお楽しみに。楽器は国立音楽大学からお借りした。

芝浦工業大学のこの会場をお借りするに当たっては当会幹事の谷口教授にご尽力頂いた。この場を借りてお礼申し上げたい。

講演、演奏後の懇親会では大いに話に華を咲かせ、楽しい時間を過ごして頂きたい。」と挨拶があった。

続いて司会の瀨川副会長より今回講演の平川新氏について

「現在サン・ファン館館長で東北大学名誉教授であり、今日は『伊達政宗の野望、支倉常長の冒険』というテーマで講演をして頂く。」と紹介され、

平川新氏は政宗の遣欧使節派遣の背景と意義を、世界史の大きな流れと重ねながら講演した。

サン・ファン館と復元船の歩み

サン・ファン・バウティスタ号という名前は日本の史料には登場せず、政宗が命名したものでもない。スペイン側の史料にサン・ファン・バウティスタ号という船がメキシコのアカプルコ湾に日本から来たと一度だけ記された名称である。1993年に全長55m・マスト高32mの復元船が完成し、その3年後にサン・ファン館が石巻市渡波に開館した。

2011年の東日本大震災では、津波により船体が8mも押し上げられたが、係留ロープにより流失を免れた。しかし翌月の強風でマストが倒壊。腐食や炭化の進行も確認され、延命措置を施しても5〜6年が限界と判断されるに至り、市民からは反対運動も起きたが2021年に解体された。

新たに建造された二代目の船は1/4スケールで、報道では「小さくなった」と強調されたが、全長14mもある模型である。同時に施設全体もリニューアルされ、展示はプロジェクションマッピングやAI技術を活用した映像を駆使している。興味のある方はぜひ一度訪れてみてほしい。

世界史の中の伊達政宗

伊達政宗は戦国時代の三英傑・信長、秀吉、家康の時代を生き抜き、奥羽最大の領地を持つ大名として68歳まで生きた。秀吉の命で米沢から岩出山に移され、20年間を経て1601年に仙台へ拠点を移した。彼の生きた16〜17世紀初頭、世界は大航海時代に入り、スペインとポルトガルが地中海世界を越えて世界各地へ進出。両国はトルデシリャス条約(1494年)とサラゴサ条約(1529年)により領域を分割し、日本列島もその境界線上に位置したため、両国は日本に対して領有権を主張する根拠を得た。

ポルトガルは鉄砲を伝え、宣教師ザビエルがキリスト教を布教。マカオを拠点に九州の大名と貿易を展開した。一方スペインはフィリピンを植民地化し、平戸に進出。1585年にはイエズス会のコエリョが日本征服と中国侵攻を計画し、キリシタン大名の軍勢を使って改宗を進めようとした。これに危機感を抱いた秀吉は1587年にバテレン追放令を発令。キリシタン大名が神社仏閣を破壊し、領民に改宗を強制する状況や、キリスト教の一神教が日本の多神教文化と対立する点、さらにポルトガル人による日本人奴隷売買が追放令の決定的な要因となった。

・政宗の野望と常長の冒険

1600年頃、日本の南蛮貿易は九州に集中しており、大型船が寄港できる港が限られていたため、仙台は貿易の対象外とされていた。仙台に本拠を移した伊達政宗は海外貿易を望み、宣教師の助言を受けてメキシコとの貿易に着目。太平洋航路に仙台藩領を寄港地とする構想を立て、使者の派遣を決断した。スペインは貿易の条件としてキリスト教布教の容認を求めたが、家康の禁教令に対し政宗は仙台を布教特区とする提案を行い、外交交渉の主導権を握った。1613年、支倉常長が牡鹿半島から出帆し、スペイン国王フェリペ3世に謁見。政宗の親書を手渡し、貿易と布教の自由を求めた。常長は洗礼を受け、ローマでは市民権と貴族称号を授与されるなど厚遇されたが、日本では幕府によるキリスト教弾圧が進み、スペインは政宗の提案に疑念を抱き、貿易を拒否した。

・鎖国と日本の選択

伊達政宗は支倉常長の交渉結果を見極めるまで禁教令を出さず、仙台領を布教特区として維持しようとした。しかし交渉は失敗に終わり、支倉が1620年に帰国した際、政宗は禁教令を発令。これにより日本からスペイン人・ポルトガル人が追放され、1624年にスペイン船、1639年にポルトガル船の来航が禁止された。布教を通じた征服戦略を捨てない両国に対し、日本は布教を行わないオランダ・イギリスとの貿易を選択。以後、江戸幕府による貿易の独占体制が確立され、長崎が主要港となった。政宗の使節船は最後の海外派遣船となり、以後日本は鎖国体制へと移行した。なお、慶長使節に関する19冊の覚書が明治初期まで存在していたが、現在は行方不明で、発見されれば歴史研究に大きな影響を与える可能性がある。

・統一国家としての日本の強さ

戦国時代の日本は分裂状態にあり、各地で軍拡競争が進んだ結果、列島全体の軍事力が向上した。信長・秀吉による統一後、秀吉は全国の大名の軍事指揮権を掌握し、数十万の兵を動かす力を持って朝鮮出兵を行った。これにより日本は突如として世界の超軍事大国として台頭し、植民地化の危機を防ぐ力を備えたと評価される。

秀吉や徳川将軍はヨーロッパから「皇帝」と称され、神聖ローマ皇帝と並ぶ存在として認識された。幕末にペリーが持参した親書にも「The Emperor of Japan」と記されている。従来、江戸時代の日本は「鎖国=閉鎖的で弱い国」との印象があるが、実際にはスペインを追放し、オランダやイギリスを制御した強国であった。長崎の出島はその象徴であり、日本の将軍の権威を示す場であったと認識するとすごい国力を持っていたという風にイメージが変わる。

講演後、司会の瀨川副会長が『我々が普段考えていたものとはだいぶ違う歴史観である。』と感想を述べた。終わりに会場からの質問を受け、「書物にはサン・ファン・バウティスタ号の建造地がはっきり示されていないが・・」と、「サン・ファン・バウティスタ号の重量はどのくらい。」と言う質問にお答えになり、大きな拍手をもって終了した。

ミニコンサート・マリンバ独奏

続いて、星 伊吹氏によるマリンバ独奏。

星氏は国立音楽大学卒業、弦管打楽器ソリストコース修了し現在は同大学大学院修士1年次在学中。

司会の瀨川副会長より「石巻出身の若きマリンバ奏者で、今回の交流会での要望が叶い演奏して頂くことになった」と紹介があった。演目は、宮城県民謡 荒磯友馬編曲「斎太郎節」。

軽快なマリンバの音色は「斎太郎節」が持つ威勢のいい舟こぎ唄の印象がガラッと変わり、とても新鮮で惹きつけられた。

1曲目が終わると本人がマイクを持ち、石巻に馴染みのある「斎太郎節」を選曲したことを話され、「元・石小、石中の先輩方はいらっしゃいますか?」との質問にはたくさんの手が挙がり「思ったよりたくさんの先輩方がいらっしゃいますね!」と、驚きと嬉しそうな様子に会場は和やかな雰囲気に包まれた。2曲目は M.Burritt作「カリタスより第2楽章・第3楽章」。愛や祈りを描いた作品で、石巻の復興と今後の発展を祈り選曲したとのこと。優しい響きの中に荘厳で力強い打楽器の持つ美しい音色を堪能できた。

20分間の休憩の間に、阿出川シアターから銀座シシリア豊洲店に移動して佐藤壽副会長と奥山幹事の司会で懇親会が始まった。

宮城県東京事務所所長 川越開氏の祝辞の後、石巻商工会議所会頭 青木八州氏の乾杯の発声で食事と懇談に移った。

懇談の合間には東京宮城県人会連合会副会長・事務局長 岡崎志郎氏、東京鰐陵会副会長 平塚善伸氏に続いて、マリンバ奏者 星伊吹氏、神野由美子氏、ヒラメキ工房主宰 関場純氏、駿河台大学経済経営学部1年生 馬場珀虎氏、日本財団勤務 菊地里帆子氏、在京東松島会会長 佐々木静氏、髙橋清美氏、東京若柳会会長 若見敏男氏、在京東松島会 宮沢美和氏によるスピーチが行われた。今回は初参加の方が多く、それぞれが自己紹介を交えながら、最近の活動状況などについて語った。会場では至るところで名刺交換が行われるなど、交流と親睦を深める姿が多く見られた。時間はあっという間に過ぎ、最後に千葉副会長が閉会の挨拶を行い、3時間にわたる交流会が終了した。

以上

記録  谷内田、 森嶋

写真  原