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東京みやぎ石巻圏人会 石巻市・東松島市・女川町の出身者・ゆかりの会
ふるさと

令和7年度ふるさと訪問旅行報告・感想文

開催概要

項目内容
日 程2025年8月2日(土)〜4日(日)
参加者大澤重洋・大澤智子・小林美恵子・坂口いく子・佐々木邦夫・高橋兵一・東海秀樹・早川 誠・宗原幹子・谷内田進 (10名 五十音順敬称略)
旅 程1日目: 13時30分石巻グランドホテル集合~グランドホテル内『トラットリア・アゼリア』/昼食~石巻市博物館見学~居酒屋『炭や』/夕食~グランドホテル/宿泊 2日目: グランドホテル/朝食~バスでサン・ファン館へ/見学~たなこや『伝八寿司』/昼食~雄勝硯伝統産業会館/見学~釣り石神社/見学~北上町ホップ栽培イシノマキファーム /見学~上品の郷 道の駅~石巻ホップワークス/見学~グランドホテル内『ラ・ロレット』/夕食~花火大会/観覧~グランドホテル/宿泊 3日目: バスで石巻魚市場へ/見学~市場内『斎太郎食堂』/朝食~日本製紙石巻工場/見学~石巻商工会議所/訪問~元気食堂/昼食~解散

4回目となる「ふるさと訪問旅行」を、川開きに合わせて実施した。

今年は、はじめて2泊3日の日程としただけあって、東洋一の石巻魚市場の朝の光景を目の当たりにできたこと、通常見学できない日本製紙をご厚意により見学できたこと、そのほか石巻博物館見学、サン・ファン館見学、ホップ畑と醸造所訪問など非常に中身の濃い訪問旅行であった。

早川誠氏による感想文

故郷訪問旅行は、今まで一度も参加したことが無く、今回初めて参加させて頂きました。

2泊3日の日程でしたが、特に石巻魚市場や日本製紙など、普段入ることが出来ない場所へ案内頂くなど、内容の濃い訪問旅行だったと思います。

視察した中で、主な場所での感想を綴ってみました。

8月2日

13時30分に石巻グランドホテルに参加者が集合、ホテル内のレストラン『トラットリア・アゼリア』で昼食をとりながら、自己紹介と当初2日予定の花火大会が台風の影響で3日に延期されたこととそれに伴うスケジュール変更の確認を行った。

昼食後、車で石巻市博物館へ移動した。、車は小林会長の知人が出してくれたものでご厚意に感謝します。

博物館では石巻市複合文化施設副館長の八島氏に案内頂き、高橋英吉作品展示室、布施辰治特集展、そして幸運にも7月26日から開催されていたアルフォンス・ミュシャの特別展を見ることができた。

高橋英吉については昨年、東京で映画『潮音 ある愛のかたみ』の上映と講演「生きている高橋英吉」(講演者:大島幹雄氏)を聞いていたので、情報としては知っていたが、作品を目の当たりにすると想像以上の迫力だった。また布施辰治展では人権と正義を貫いた人権派弁護士の生き様に心を打たれた。また、ミュシャはフランスを中心に欧州で流行した芸術様式「アール・ヌーヴォ―」を代表するチェコの画家で、今回は約400点が展示されており、幅広いジャンルの広告ポスター等華麗な芸術世界に魅了された。

それぞれ異なる時代と異なる分野の三者三様の表現者たちの情熱と信念に触れる貴重な機会でした。

早川誠氏による感想文 - 石巻博物館

『マルホンまきあーと』に併設されており、白色を基調にした、なかなか立派な施設でした。「大河と海に育まれた石巻」をコンセプトに、石巻の歴史、民族、考古、美術の各収蔵資料が順序立てて展示されていました。

私は、高校の先輩である髙橋 英吉の作品を中心に見させて頂きました。

海の3部作である「漁夫像」「潮音」「黒潮閑日」は、力強いタッチで彫られた作品群で、素人の私が見てもなかなかの力作と感じられました。

母校の図書館に長く飾られていた「聖観音立像」は、(何歳の時の作品か分かりませんが)若い年齢の時の作品で、良くこんなに精巧に造ることが出来たなあというのが正直な気持ちでした。

絶作となった「不動明王」は、戦地に向かう船の中で、手製の彫刻刀=これがまた良くこんなものでと思われるもの=で彫られた小さな作品で、従軍記者に家族に届くように託したものだそうです。

高橋英吉は、31歳の若さでガダルカナル島で戦死しました。

もし無事に帰還できていたなら、色々な作品を残すことができ、全国的に有名な人物になっていたと思うのは私だけでしょうか。

丁度、週刊新潮(8月14日・21日夏季特大号)を読んでいたら、アスリート列伝 「幻のスプリンター 鈴木 聞多 戦火に散る」の中での記事。鈴木選手は1935年ドイツで開かれた5か国対抗陸上で優勝し、世界的に期待された逸材だったようですが、1939年中国河南省で戦死したとのこと。

このように、高橋 英吉、鈴木 聞多のような芸術面、スポーツ面に限らず、他の色々な分野で活躍が期待された有望な若者の多くが戦争で亡くなったというのは、日本にとって大きな損失でしかありません。いや日本だけでなく戦争というのは、世界ででも同じようなことをたくさん起こしていたと思われます。

アルフォンス・ミュシャ展も、隣の会場で特別展として開催されていました。

約400点の作品が展示されており、なかなか直接見ることが出来ない有名なアール・ヌーヴオ―様式を代表する作品を楽しませて頂きました。

売店で、記念にコースター4枚とノートを購入。

ホテルに戻り夕食は居酒屋「炭や」で共同通信社の島貫氏も参加して大いに盛り上がった。

8月3日

ホテルで朝食後、マイクロバスでサン・ファン館(宮城県慶長使節船ミュージアム)へ向かった。

サン・ファン館では企画広報課長 髙橋氏の案内で支倉常長の慶長使節団に関する展示を見て、当時の航海技術や国際交流の様子に感動しただけでなく、シアター映像を見ることによりその時代背景が良く分かった。

平川館長は不在だったのでお会いできなかったが、10月の交流会の平川館長の講演を楽しみにしている。

早川誠氏による感想文 - サン・ファン館

20年くらい前に一度見学に来ているのですが、当時の記憶はほとんど無く、新しい気持ちで見学をさせて頂きました。

津波で大きな被害を受け、新しく建造された施設と船。

なぜ伊達政宗は支倉常長に命じて、危険を冒してまでローマ法王に会いに行くのか、などを分かり易く説明を受け、また25分の映像を見て良く理解することが出来ました。

サン・ファン号自体4分1の小さいものになったのは、少し残念な気持ちになりますが、それなりにしっかりと復元されておりました。

それから、7年後に日本に帰る時の話です。どういう通信手段が使われたのか分かりませんが、同じサン・ファン号が迎えに行き、フィリピン経由で帰ってきたというのは知らなかったので、驚くとともに大変参考になりました。

雄勝地区の中心部高台にある「道の駅 硯上の里おがつ」へ向かい、たなこや「伝八寿司」で海鮮料理に舌つづみを打ったあと、東京駅丸の内駅舎の屋根に使用されている「雄勝スレート(雄勝石)」が展示されている雄勝硯伝統産業会館、雄勝観光物産交流館を見学した。

雄勝硯の伝統文化を伝えることを目的とした施設であり「雄勝石」で作られた硯をはじめ、雄勝石で作られたテーブルウエアなどを観覧・購入することができた。

北上町の釣り石神社は東日本大震災時も崩れ落ちず、それ以降、落ちそうで落ちないという事で中学・高校受験の神様として有名になった。

実際に上を見上げると今でも落ちそうな大きな岩が残る。

 

早川誠氏による感想文 - 釣り石神社

大きな岩が突き出ているのですが、東日本大震災でも落ちることが無かった、これは大変な御利益があるということで出来た神社だそうです。

特に高校、大学の受験生に人気になっているとのこと。

確かに大きく出っ張っているのに、大地震でも落ちないで良く持ちこたえたなあ、というのは正直な感想でした。

この大きな岩を拝んで、高校・大学に合格できたら良いなあ、また自分の運気も上がると良いなあ・・・まあ人生そうそううまくは行かないかもしれませんが。

それで思い出したのが、和歌山県新宮市にある熊野大社、熊野古道巡りに行ったときに、一番初めに立ち寄った神倉神社の巨岩。

熊野の神々が初めに降り立った聖地と言われています。

500段以上の階段を、フーフー言いながら登った先に見た大きな石は、確かに感動もの。釣り石神社のような今にも落ちそうな岩では無かったのですが。

釣り石神社も、これからどんどん有名になって、将来、聖地と呼ばれるようになると良いですね。

北上町のホップ栽培イシノマキファームの現場を訪問し代表取締役の髙橋氏からホップ畑と実際のホップの説明を受けたが、地域の新たな産業としての希望を感じると共に、震災を乗り越えた土地に、クラフトビール文化を根付かせようとする熱意が伝わってきた。

道の駅「上品の郷」経由で石巻小付近でバスを下車し、石巻ホップワークス(旧日活パール跡)を見学した。店長倉島氏の案内でビール製造工程に加えて旧日活パールの映写室など見学してから、出来立ての美味しいクラフトビールを飲むことができた。ビールカップを持って徒歩でグランドホテルに戻った。

夕食は和食が続いたのでグランドホテル内「ラ・ロレット」で美味しいフレンチを楽しんだ。

夕食後、徒歩で人混みをかき分けながら何とか花火開始時間前に有料観覧席にたどり着いた。

花火大会は19:30に石巻市長と石巻川開祭実行委員会会長青木石巻商工会議会頭の挨拶で始まった。商工会議所に有料席を確保してもらい、正面に石ノ森石ノ森萬画館をみて、中瀬から打ち上げる花火を目の当たりに見ることができ大満足であった。

花火終了後は迷子にならぬように全員一緒にホテルまで帰り、翌日早朝出発の為、解散した。

8月4日

朝食なしで6時ホテル発のマイクロバスで石巻魚市場へ、佐々木茂樹社長の案内で全長880メートル東洋一のギネス世界記録に登録されている魚市場を見学した。

魚の入札の状況、種別毎に魚をゾーンに分けて処理している状況、さらには定置網漁船から魚を網で水揚げしている状況を目の当たりに見て漁業関係者の迫力と情熱を感じた。美味しい魚が食べれるためにも漁獲量が増えて、益々魚市場が栄えることを祈る。

早川誠氏による感想文 - 石巻魚市場

朝6時にホテルを出発。

東日本大震災後に作られた、全長880メートルの近代的で立派な施設でした。

長靴に履き替え消毒後に入室、佐々木 茂樹社長直々にご案内をして頂き、魚の入札(競り)や建物ごとに入荷した魚の処理状況等の説明をして頂きました。

丁度、網地島近くの定置網から揚げたばかりの魚を船から大きな網で降ろしているのをすぐそばで見学することができ、感動ものでした。なんせテレビなどでしか見たことが無かったものですから。

海水を水に変える設備、氷を大量に使うので製氷施設なども併設しているそうです。

しかし、あまりにも大きな施設なので、特に電気代など諸物価の高騰は大きな痛手で、施設の維持費が大変だということです。

石巻市の誇れる施設なので、漁獲量などが増えて、折角の施設が有効活用されることを祈っています。

朝食は市場内「斎太郎食堂」で海の幸を堪能することができた。

南浜町日和大橋経由で石巻南浜津波復興祈念公園、日和山に立ち寄って日本製紙石巻工場へ向かった。

工場見学は樋口工場長代理(石巻商工会議所副会頭)に会社・工場概要と商品の説明があり見学は気温が高く工場内に入ると熱中症の危険が考えられるとの事で、バスで石巻雲雀野発電所まで移動して発電所の屋上から工場全体を見渡すことができた。

石巻雲雀野発電所は間伐材などを活用した木質バイオマス燃料を最大30%まで混焼できる発電施設で、電力の安定供給と共に、環境にやさしい地球温暖化防止に貢献している。

早川誠氏による感想文 - 日本製紙 石巻工場

王子製紙に次ぐ、日本を代表する製紙会社で、同社でもトップクラスの工場。

従業員は552名で、協力会社の方約1,000名を合わせ約1,550名でこの大きな工場(117万㎡)を運営しているそうです。

初めに工場長代理・石巻商工会議所副会頭の方から説明を受けましたが、最近、紙の需要が減ってきており、製紙会社にとっては厳しい時代に入っているとのこと。

確かに電車の中で、新聞や週刊誌、小説を読んでいる人はほとんど見かけなくなりましたね。

そこで、セルロースナノファイバーという新しい機能を持つ素材の開発などにも力を入れており、また、今まで製作していなかった紙コップなどの新しい分野にも進出しているそうです。

工場の中は、とにかく広いです。

説明を聞いただけではよく分かりませんが、各種用紙を製造するマシンが置かれている抄紙・塗工設備をはじめ、針葉樹・広葉樹チップや新聞・雑誌を原料とするパルプ設備などがあるそうです。

600億円の大規模な設備投資をしたすぐ後に、東日本大震災による津波の大きな被害を受けたとのこと。あまりにも大きな損失で、一時は工場の閉鎖まで考えたような話を工場長代理さんから伺いました。津波の被害は、なんせ根こそぎ持って行かれる、想像を絶するものがありますね。

復興までの道のりには、大変なご苦労があったようです。

マイクロバスで移動しましたが、約60メートルの高さにある建物に案内して頂き、工場全体を見ることが出来ました。

最後に、高校を卒業した人の就職希望者がほとんど居ないということを伺いました。

8時間ごとの3交代での勤務体制などは、今時の高校生からは余り受け入れられないのでしょうかねえ。

今回参加した小林会長、谷内田副会長、私の3名の父親は、日本製紙の前身である東北パルプに勤めていましたので、この話を聞いて何か寂しい気持ちになってしまいました。

石巻商工会議所を訪問し、高橋専務理事、尾形事務局長、高橋事務局次長と懇談した。

いしのまき元気いちば内「元気食堂」で昼食を取った後、いしのまき元気いちばでお土産を買う人と石巻駅に向かう人がいるのでこの場で解散という事で今回のふるさと訪問旅行は終了した。

終わりに

今回の旅行は10名という少人数でのこじんまりとしたものでしたが、例年の1泊2日ではなく2泊3日としたことで、これまで訪れることができなかった魚市場や日本製紙などを見学する機会に恵まれ、非常に充実した内容となりました。参加者一同、学びと発見の多い旅を楽しむことができました。最後に、旅行の実現にご協力いただいた石巻商工会議所の皆様、そして訪問先で丁寧にご案内くださった皆様に心より感謝申し上げます。

(谷内田記)