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東京みやぎ石巻圏人会 石巻市・東松島市・女川町の出身者・ゆかりの会
ふるさと

ふるさと訪問旅行

開催概要

項目内容
日 時令和4年8月6日(土)~7日(日) 1泊2日
参加者小林美恵子・佐々木邦夫・佐藤 壽・白石光男・鈴木幸男・松尾喜久子・三浦玲子・三浦忠男・宗原幹子・谷内田 進・渡辺啓子 (11名・五十音順敬称略)
旅程1日目:15:00現地(石巻グランドホテルロビー)集合~石巻商工会議所~漫画館及び市内~夕食(石巻グランドホテル内 レストラン「ラ・ロレッタ」)~花火観覧(北上川畔観覧席)~宿泊 2日目:ホテル~ 大川小学校~門脇小学校~日和山~昼食(八幡家)~いしのまき元気いちば/解散

令和2年度以降の活動計画に入れていながら、このコロナ禍により、取りやめていた「ふるさと訪問旅行」を、北上川「川開き祭り」の花火大会が3年ぶりに開催されるに合わせて、8月6,7日に実施しました。

会員の皆様へは7月7日にメールで案内を送り、このコロナ禍で積極的には参加の呼びかけをしませんでしたが、11名集まりましたので小規模ながらの旅行で旅行記を簡単に作成しました。ご覧ください。

8月6日

○ 石巻商工会議所表敬訪問

15:00に全員集合して石巻グランドホテルを徒歩で出発して、漫画館に行く途中、石巻市指定文化財の旧観慶丸商店で江戸時代の千石船などの資料館を見学して、石巻商工会議所を訪問した。

当初から青木会頭はじめ幹部は川村孫兵衛の式典に出席で不在であることはわかっていたが、対応頂いた方に挨拶して玄関正面で記念撮影をした。周辺の駐車場では若い人たちのライブがあったり出店があったりしてたいそうにぎわっていた。

○ 漫画館

現登米市出身の漫画家・石ノ森章太郎の記念館で、館内はマンガ、アニメの多くのキャラクターが展示されており、孫を連れてくれば本当に喜ぶ場所であろうと感じた。

マンガ、アニメ好きの人にはたまらない場所であろうが、残念ながらあまりマンガに興味のない私はキャラクターの展示より、「ミニ四駆」の展示(特に一号機の特別展示)とその歴史が大変興味深かった。

○ 夕食 ラ・ロレッタ

17:30から石巻グランドホテル内のイタリアンレストラン「ラ・ロレッタ」で夕食、大分歩き回ったので、ビールとワインでのどを潤した。

実は石巻に来たのだから美味しい魚料理の和食に美味しい日本酒が良いと思っていたが、冷製スープをはじめ大変美味しいイタリアンのコース料理で大満足であった。

○ 花火

19:00に始まり、石巻市長と石巻川開祭実行委員会 会長青木石巻商工会議会頭の挨拶の後、花火は2部構成で最初は震災の「供養花火」であり、第2部はコロナを含めた「疫病退散祈願花火」で花火の違いは判らなかったが、商工会議所の計らいで特等席を確保してもらい、台船から打ち上げる花火を本当に目の当たりに見ることができ大感激であった。

約6000発の花火とのことで、上ばかり見ていたためか、いささか首が痛くなり時々首を回さないと筋肉痛になりそうであった。

花火が始まってすぐに、青木商工会議所会頭がわざわざ観覧席まで来てくれて、お会いすることができた。

花火終了後は迷子にならぬように全員一緒にホテルまで帰り、寄る年波には勝てないので明日に備えて十分睡眠取るように解散した。

8月7日

○ 突然の斎藤正美石巻市長表敬訪問

朝7時グランドホテルでバイキング朝食中に、佐藤さんが斎藤正美石巻市長が朝食を取っているのを偶然見つけて、佐藤氏と鈴木氏が挨拶したら8時30分に市長室へ来るように言われて急遽佐藤さん、鈴木さん、小林さん、佐々木さんの4名で市長を表敬訪問し、歓談した。

佐藤さんと斎藤正美石巻市長は石巻工業高校出身の同窓で佐藤さんは野球部に所属し斎藤市長の叔父さんが野球部のコーチで指導を受けたつながりで知り合いとの事(鈴木氏も石巻工業高校出身)。

突然の予定変更だったが残りの7名とガイドさんを乗せてマイクロバスは予定通り9時に出発して市役所に近い懐かしいレストラン「大森や」前で4名を乗せて大川小学校へ向かった。

今回のガイドさんは石巻観光ボランティア協会会長の斎藤敏子さん。以降、訪問先はもちろん車内でもいろんな情報を提供してくれて会長自らガイドしてくれ感謝感激。

大川小学校までの間、開北橋を渡り、左手に震災では浸水の被害がなく避難所として使われ、そして救援自衛隊の宿営所にもなり、世界中から集まったボランティアの拠点にもなった専修大学や1964年(昭和39年)の東京オリンピックの聖火台(レプリカ)を見ながら北上川(旧追波川)沿いを走り、大川小学校へ。

○ 震災遺構 大川小学校

テレビ、新聞では見ていてある程度知っていたが目の前にある光景に、声も出ませんでした。現場に行き、現物を見て、現実を知るこれに勝るものはないと改めて痛感しました。

ガイドさんも多くを語らずとにかく自分の目で見てそれぞれで感じ取って欲しいと言う雰囲気でした。

校舎にカーブがある変わった造りが特徴的なので、すごく近代的な小学校だったんだと思います。

学校の向かいに、震災伝承館があり、当日の出来事、裁判にまで至った経緯、震災前の地域の状況を伝えるジオラマなどを見学しました。

ここでも佐藤さんはジオラマを説明する人にこの地区出身の友人の話をしたらその人は友人のお兄さんということが分かり、佐藤さんは友人に電話してここでも旧交を温めていました。

あらためて児童と教職員84名(行方不明者含む)のご冥福をお祈りしながら、バスは大川小学校を後にしてもう1つの震災遺構門脇小学校へと向かいました。

車中でガイドさんは悲しみ、苦しんでいるのは、児童の親御さんだけでなく、亡くなった教職員のご両親、親戚の方もと言うことと、お互いに心の葛藤に苦しんでいるというお話を聞いて、車中のほとんどの人は涙を流していました(ただでさえ涙腺が緩くなった私は大泣きでした)。

日和大橋より上流にできた石巻かわみなと大橋を渡りいよいよ門脇、南浜地区に入っていきました。

○ 震災遺構 門脇小学校

石巻震災遺構として残されているのが、先ほど訪問した大川小学校と門脇小学校で、特に門脇小学校は津波火災が起こった唯一の震災遺構とのことです。

私は、門脇小学校が見えてくるとなぜか不思議に、大川小学校の時の重苦しい泣きたいような気持ちが晴れ、少し明るい前向きな気持ちになりました。

なぜかと考えると、大川小学校と違い、児童、教職員は運よく日和山に避難でき、亡くなった人はいなかったと言うこと(と言っても帰宅した何名かの児童は被害にあわれたよう)と、そしてわが母校と言うこともあったからでしょうか。

震災直後に外部からは見た事はあるが、今回は震災遺構として内部まで見ることができ非常に思い出深い見学になりました。

児童会の歌を思い出して歌ったり、この教室で勉強したとか、ジオラマを見て私の家はこの辺にあったとか話が盛り上がり、すごく時間がオーバーしてガイドさんは次の予定で気が気ではなかったようです。

青池憲司監督のドキュメンタリー映画「津波のあとの時間割」を何年か前に見ましたが、その中で、当時の校長先生が避難の様子を詳しく話しており、どのようにして日和山に逃げることができたのかを目の当たりに見て納得しました。

大分時間がオーバしたので、少し急いで、左手に「がんばろう!石巻」の看板、新日本製紙の石巻工場を見て、右手に津波の時の壁新聞を6日間発行した石巻日々新聞社の前を通って、坂を上り石巻高校を右手に見て日和山へ到着した。

○ 日和山

当初の予定には入ってなかった日和山は参加者の多くの人が行ってみたいと希望し、バスの運転手さんとガイドさんに無理を言って行くことに決まった。

やはり石巻に来たら日和山から太平洋、旧北上川河口と旧市内を広く一望したく、天気にも恵まれていたため、遠く田代島・網地島、牡鹿半島まで見渡すことができ満足。

また、鳥居は、度重なる地震や経年劣化により倒壊の恐れがある事から解体し、新しい鳥居になっており、その土台付近には雄勝のスレートが貼り付けてあった。

バスの駐車場に行く途中に昭和63年(1988年)に建立された松尾芭蕉とその弟子河合曾良の銅像を見ることができた。

○ 昼食 八幡家

私が小中学校の時からあった八幡家での昼食で、さすが鰻の老舗だけあってうなぎの蒲焼は非常に美味しかった。調べてみると1913年(大正2年)創業とか。

少しビールを嗜みながら反省会で皆さんから感想を聞いたが、やはり皆さんが言っていたのは3年ぶり(私にとっては約60年ぶり)の花火のすばらしさと、大川小学校と門脇小学校の遺構を現物で見ることができた事。願わくば花火は昔のような水中スターマイン、ナイアガラの仕掛け花火などあればもっと良かったと言う意見があった。

○ いしのまき元気いちば

八幡家の前で一度解散し希望者は震災復興応援のための「いしのまき元気いちば」で石巻の海の幸などを中心に買い物をした。

買物の後は、三々五々解散し、今回のふるさと訪問旅行は終了した。

終わりに

案内はしたがコロナの情勢下積極的には誘わなかったので、今回はこじんまりとした11名の旅行でした。

来年は石巻川開き祭りも100回目を迎えますので、コロナの状況にもよりますが、会員などから多くの参加者を募り「ふるさと訪問旅行」ができることを念じております。

最後に今回の旅行に協力頂いた石巻商工会議所の皆様、一般社団法人石巻観光協会の皆様、石巻観光ボランティア協会の皆様に感謝しながら筆をおきます。

(谷内田記)